誘蛾灯の囁き

アート音痴・芸術素人が好き勝手やってます。

「残すための写真」と、「語るための写真」

引用 《 目の前の情景を美しく正確に写しただけでは名画は生まれません。》

人々が共感するのはその画家が描き出した精神性、物語性。
写真も大体同じことが言えるなァと思う。ただ写真は美しく撮ることに特化しても絵画と違って価値が生まれるけど。
ポストカードみたいな存在として。
当たり前だけど、残すために撮る写真と、語るために撮る写真は全然違っていて。

「残すための写真」と「語るための写真」をごっちゃにしてる人が結構いる。
写真家でも、デザイナー的な立ち位置で撮る人(モデルを使った広告写真や雑誌のカメラマン)と、アーティスト的な立ち位置で撮る人もいる。

説明的な図に神秘は生まれない。それは「残すための写真」向きのスタンスだと思う。

「語るための写真」というと撮影者が語ってるイメージばかり浮かんでくるけども、被写体があってこその写真だから被写体の語りを引き出せないのはどうなんだろう。
蜷川実花とか完全に一人がたりしかしてない写真家の代表だと思う。
何を撮ってもその被写体から何かを引き出すというよりもそれを彼女の世界に埋め込んでしまっている。

あとは、「残すための写真」でも被写体が語ってることはあるのかもしれない。

私の好きなmarcoは蜷川実花の弟子だけれど、あの人は自分の語りたいことを被写体の良さを引き出しつつ融合させてるから好き。
少女のうつくしさ、みにくさ、儚さ、しなやかさ、たおやかさ。
どんな時でもほぼ一人語りの蜷川実花より写真家として好感が持てる。蜷川実花も嫌いではないけれどもね。

ちなみに、基本「残すために撮る写真」しか撮れない私だけど構図が美しいと褒められることもあるので嬉しい。
被写体の美しさを最大限に引き出していると信じたい。
写真を撮るときの私の得意な分野?スタンス?はわかってるつもり。
普遍的かつ人々が納得できる構図。
良く言えば美しくありきたりな構図。

私という人間について。

はじめまして。誘蛾灯と申します。


心理学部心理学科に身を置きながら美術の魅力に目覚め、完全な素人ながら好き勝手勉強したり、思ったことを語ったりしています。

所詮素人なので知識には誤りや抜けがあるかとおもいますが温かい目で見守ってください。

西洋絵画、西洋建築、インテリア、ガラス、屏風画、蒔絵、写真が好きです。

好きな画家はティツィアーノ、ヤンファンエイク、フランク・ディクシー、ヴィジェ・ルブラン、ウォーターハウス、フリードリヒ、ラ・トゥールシャガールクノップフ、ホイッスラー等

最近はジョージア・オキーフが気になっています。



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日本人に印象派が人気な理由。

日本では印象派の人気が高い。

前々から、何故日本では馬鹿の一つ覚えのごとく印象派印象派うるさいのかと、私はうんざりしていた。

散々語り尽くされている気もするけれど、その理由を素人の私なりにいろいろ考えてみた。

西洋絵画を観る上で必要になってくるものといえば、キリスト教ユダヤ教ギリシャ神話、古代から現在までの歴史的背景。アトリビュートの知識だ。
(宗教と神話の知識は持ってて損はないし、建築の知識があるとさらに楽しめる)

西洋では、中世は勿論ルネサンスからフランス革命期(ロココ終わりから新古典主義の始まり)まで絵画の王道といえば、神話画・宗教画・寓意画といった『歴史画』だった。それは知識がないと見てもよく分からない場合が多い。
展示されている絵の横の説明文やタイトルを読んでやっと分かるといったところだろうか。

神話や聖書の物語の知識は勿論、アトリビュートの理解や歴史的背景に関する知識がないとその絵の持つ意味がよく分からないだろう。
その絵が持つ、構図や色彩の美しさは感じ取ることができたとしても。

日本は西洋キリスト教文化圏ではないから、クリスチャンであるとかキリスト系の学校へ通っていたとかではない限り、
ユダヤキリスト教関係の知識は腰を据えて自主的に勉強しないと理解できない。
だからそこで、題材も分かり易く、予備知識がなくても理解できる印象派が人気なのだと思う。

フォーヴィズムキュビズムダダイズムも西洋絵画の歴史や約束事を知らなければその成り立ちや意味がわからないから。
そこらへんはすべて今まで西洋美術が必死こいてやってきたことやたくさんの制約や約束事の、否定と模索なわけで。

そして二つ目の理由。
「日本人は穏やかな自然さを好み、堂々とした権威や人工的な表現には惹かれにくい」という。
それが本当なら、日本の美の影響を受けているだけあって自然を嫋やかな構図で伸びやかに明るく描いたモネあたりの美意識が日本人の好みにマッチしているのかもしれない。
これが印象派の人気に繋がっている二つ目の理由ではないかと勝手に推測。

以前私はTwitterで「フリードリヒとホイッスラーの自然観は日本人に通じるところがあるのではないか」とつぶやいたことがあるのだが、
こう考えてみると、ホイッスラーはまだしも(彼もバリバリに日本美の影響を受けているし)フリードリヒはちょっと違うかもしれない。
彼の描く、荘厳で、人間が抗うことのできない絶対的な力を持つ(宗教的な意味を含んだ)自然の絵は、どちらかというと私自身が持つ自然観に近い。
私個人が勝手に共感しているだけで、日本人が好む美の表現は印象派のような明るくたおやかなものなのだろう。