『シャガール、その一生』
私が取り上げたいのは、最愛の画家のひとり、「シャガール」である。
彼はどのような人であったのか、また、彼が描き続けたものはなにか、そして絵画とは、芸術とは何であるのか、を。まとめていきたい。
ローマ時代、コンスタンティヌ帝がキリスト教を国教化した後、ローマは滅ぼされ、東西に分裂した。
それ以降の壁画や絵画は、芸術に人間性に重点をおいてきたギリシャとは違い、文字の読めない人々にもキリスト教を布教させるべく作られてきた。
東方正教に属するロシア(ロシア正教)においては「イコン」が発達した。
(イコンそのものは信仰や崇拝の対象ではなく、信仰の媒体として尊ばれていたようだ)
しかしながら14世紀になると、ギリシャ・ローマ時代の美に立ち返り、個性を尊重し、人間性の解放を目指そうという、フランス語で「再生・復活」を意味する運動がイタリアで起こり、それは各地に影響を与えっていった。
それ以来、絵画をはじめとした芸術は、キリスト教の枠だけにはとどまらないものとなり、時の権威者である王族や貴族の肖像画から、庶民の何気ない日常を描く風俗画などが生まれてきた。
殆どの国に、「アカデミー」と呼ばれるその国が整えた美術学校が生まれるようになった。
ヨーロッパ絵画において理想的な師とされたのはラファエロである。
古典的・かつ伝統的なアカデミズム派と、そこにとらわれない派の、対立の歴史が繰り返されることとなる。19世紀以降、ロシアでは保守派・革新派が現れることとなり、革新派の中でもロシア・象徴主義と、ロシア・アヴァンギャルド主義に分かれた。
シャガールは20世紀のロシア(現・ベラルーシ)の画家である。
彼はロシア・アヴァンギャルド派に属する画家である。彼自身は東欧系ユダヤ人であり、フランスのパリや故郷のロシアに行き来する生活をしていたが、ユダヤ系であったことから第二次大戦中ナチスの迫害を受けてアメリカへ亡命、その後再びパリへ戻り、フランスに永住することを決意した。
彼の作品の特徴的なところは、生涯、はじめの妻であるベラを愛し、そのベラへの愛と、故郷であるロシアへの思い、郷愁を描き続けたところにある。
パリへ初めて訪れた時はキュビズムの影響などを受けていたが、シュルレアリスムには批判的であったという。
私とシャガールの出会いは、当時交際中であった現在の夫と美術展へ行った時である。
最愛の妻を亡くした彼の悲しみ。筆舌に尽くしがたいほどの失望、打ちひしがれるほどの絶望、喪失感。自由な色彩と、自由な構成の中で、彼の心の内が、表現したいものが、伝わってくるのである、この絵を対峙している私と、恋人である彼にも伝わり、ふたりで涙を流した。
彼の作品は、模範とされたラファエロのような構成に全くとらわれていない。人間を描く時も、ギリシャ人が追及し、後のミケランジェロが体現しようとした人間そのものの身体的造形美を無視している。現実味がない。風景や、家具の形まで殆ど原型を留めておらず、「めちゃくちゃ」である。
彼の描いているものは、夢である。彼の心の内側の世界である。彼の心や、夢や、彼以外の他人が全く触れることも出来なければ、認識することも出来ない内側の世界だ。
それなのに、なぜ人が、後世の人々が、彼と触れ合ったこともないような私や夫が、それに惹かれるのか。彼の名が語り継がれてゆくのか。それは、どんな人でも、多かれ、少なかれ、彼と同じ部分を持っているからである。
妻のベラと結婚した時の喜び。その時の、飛び上がるほどの嬉しさ。
誰かひとりの人を心から恋し、愛したことのある人間であるならば、彼の絵に共感することが出来る。彼は代弁者となる。
私も訳あって、生まれ育った故郷を無くした。中高生の頃はその郷愁の想いに満ちた詩ばかりかいていた。今戻ったところで、あの時のような場所ではないし、あの頃、あの時の自分が過ごした環境はもうそこにはない。私の心の中だけにしかない。
だからこそ、私は、彼の故郷への思いや、最愛の人を思い、ただひたすらに描き続けた彼に共感し、惹かれてやまないのだろう。
そして晩年の彼は、亡き妻ベラとの思い出に捧げて、「雅歌」いう連作を描くこととなる。彼は、死を目の前にしても、喪った人、亡き妻、ベラを想い続けていたのであろう。
雅歌とは、旧約聖書の一部で、ソロモンとその愛人「シャロンのバラ」ことシュラムとの愛のやり取りを歌ったものだという。シャガールは自分自身をソロモンに、ベラをシュラムに譬えて、二人の永遠の愛の形を、絵に込めたのである。
その時感じた「気持ち」は一瞬のものである。同じ時も、場所も、感情も、人もない。何度同じ行動を繰り返そうと、あの時と同じ時や場所、気持ちはない。時代は変わり、気持ちは変化し、人も変わる。そして自分も変わる。記憶として残り続けるだけだ。
多くの人はそれを受け入れて、思い出として残して生きてゆく。しかしながら、シャガールはそうしなかった。画家として、絵を描き続けた。絵ならば、思う存分、描くことが出来る。そして「目に見える」形として、残すことも出来る。
マルク・シャガール。
彼は画家である。『表現者』である。『表現者』は、『代弁者』となるのである。
ゴッホのように、その時代の人々には受け入れられなくとも、それを後世の人々が見直し、多くの人がそれに価値を見出すかもしれない。
絵画とは不思議なものである。現在では写真が生まれ、肖像画のようにその人を後世に伝えるべく(多少の誇張表現や美しさを足しながら)なるべくそのままに描くという「リアル」にとらわれる必要もなくなった。現代の芸術は「美」だけに囚われることがなくなった。「美」の追求だけではなく、個人の内面世界の表現の場となった。
繰り返すが、絵画とは不思議なものである。ある人にとっては何の意味もない落書きのように見え、ある人には多額のお金を払ってまでも手に入れたいと思わせるものとなる。
シャガールの書いた絵は、後世の、ある人々を喜ばせ、泣かせ、救い、ときにある人々からは「意味が分からない」「うるさい子供の落書き」と言われながら、また、ある人にとっては自分がこれから作り出してゆくもののインスピレーションとなりながら、これからも残され、愛されていくだろう。