誘蛾灯の囁き

アート音痴・芸術素人が好き勝手やってます。

「笑い」と「恐怖」の境界線~チャップリンという天才~

週末に旦那と観る映画を、チャップリンの「サーカス」に決めた。
白黒の無声映画だけれど、今見ても色褪せぬ面白さで、おすすめの作品だ。

中学生時代なチャップリンはかなりの作品数を見た。
近所迷惑なことに、真夜中に観ながら腹を抱えて大爆笑していたことを覚えている。
今見たらまた違うのかもしれないが、私は「モダンタイムス」とかヒットラーをおちょくった映画よりも、「サーカス」や「街の灯」みたいな面白く、でも少し切ない作品の方が好きだった。

個人的にチャップリンは「笑い」を極めた天才だと思っている。
大学時代、芸術学科に所属していた旦那のホラー映画の授業を勝手に聴講したときのこと。
教授が「怖さ」は時に「笑い」を生む、ようなことを言っていて、「恐怖」と「笑い」の境界線について考えさせられた。

「笑い」は、人間がある程度予測できる行動から少しずれた、少し逸脱した反応や行動に対して生まれ、「恐怖」は完全に理解&予測不能なものに生まれるのではないか?

理解できる逸脱→笑い
理解不能の逸脱→恐怖

社会生活を送っている人間ならば、これこれこういう事態にはこういう行動を取るだろう、という他人に対する予測がある程度できるものである。
それをある程度、理解できる範囲で逸脱する。
チャップリンが笑いの天才たる理由は、そうした「理解できる逸脱」をよく突いてくるからだ。

チャップリンの楽しい映画が、ただの消費エンタメにならない理由は、笑いを突き詰めるにあたって、必然的に「人間」を突き詰めてきたからだと思う。


それに加え、私達は「理解不能な逸脱」に関しては恐怖を感じる。
身近でありながら「理解不能な逸脱」を極めれば、強烈な恐怖を感じる名作ホラー映画になるのではないか、と(勝手に)思っている。

私はホラー映画に関心を持ちつつ、怖がりかつビビリなおかげで、残念ながら偉そうに論じられるほど作品を観ていない。

「ジャパニーズホラー」についてもいつか考察してみたいものである。